25年すなわち四半世紀

タイトルの通り、四半世紀って25年のことですよね。私はいま25歳なので四半世紀既に生きているということになります。

昨日一昨日と風邪をこじらせ熱を出してから、仕事もうまく行かずやみかけたわたしが見たのは幼少期のアルバムでした。赤ちゃん時代の私や兄弟、若い両親、、写真のそれはみんな幸せそうな顔をしていました。こんなに大切に育ててもらったのに、しにてぇとか思うのまじ申し訳ないな~と、思いました。

その勢いで小中高の卒業アルバムを見ました。過去の私とその周りの友達たち、誰もがかわいく懐かしかったです。とっても。

見ながら色々なことを思い出しました。話をよく聞き役にまわってたなとか、公文行ってたなとか。

昔から自己肯定感はかなり低かったけれど、それなりに勉強は出来たし、はみ出しものにも目立つものにもならぬよう、楽に生きていけるよう振る舞ってきたつもりでしたし、それで大人も何とかなると思っていました。

だけど大人は厳しかったです。学校に通っていたときのように人の言うことをきくだけではなく、自分で動かなければなりませんし、毎日宿題があるようなものです。学校で授業を受けるのとは訳がちがうのです。社会と学生とのギャップにまず打ちのめされて、なにも出来ない自分が許せなくて病むっていうテンプレね。

これでも学校ではそこそこうまくやれてたはずなのにな、環境が変われば待遇も格差も変わりますよね。きっと私は環境を変えるまでずっとこのままなのです。

これだけながく生きてきたのだから、いまある命にまずは感謝をして、できることを少しずつやっていくしか、生きていく方法はないのでしょうね。

四半世紀の重みと共に、歩んで行きたいのです。

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