先日、ベンジャミンバトンをみました。
知っていますか?「ベンジャミンバトン~数奇な人生~」という映画。主人公を演じるのはかの有名なブラットピットです。ここ2-3年ずっとみたいと思っていた映画でした。躊躇っていた理由は長さですね。Netflixで2.5時間の表記だったため。
時間もあったので思いきってみてみました。
ある男ベンジャミンの一生を追いかけるお話です。
産まれてからしぬまで。
1918年第一次大戦の終わり、正確には終わった日。アメリカが沸き立つその日に産まれた男は、産まれたと同時に母を失いました。老人の姿で。
体の大きさはは赤ちゃんであるが、肌はしわしわで白内障、耳もよく聞こえていないという老人の特徴をもって産まれました。
そして、歳をとるごとに体が若返っていく…といったお話です。
一生を語り尽くすのに2.5時間は短く、あっという間で引き込まれるお話でした。
彼自身いろんな所にいっていろんな他人と会って刺激を受け、成長しやがてしんでいく。人はこうして年を取り死んでいくんだなと思いました。特別な見た目でも、人とちがってても時を同じく生きているんだなぁと…
なんだろうなぁ…ベンジャミンも誠実なんだけど、その周りの人たちもすごい魅力的で、それは彼自身が誠実だからこそだと思うのだけれど素敵なんですよ、すみません語彙力あらず。
ベンジャミンはあらゆる人の死を見届けていました。身近でたくさん死を見送っていました。身近な人が死ぬってどういう感覚なんだろう、わたしは大人ですがその感覚を味わったことはなくて、味わいたくもないです。そりゃそうか、みんないやですよね。
だから、永遠はあるような気がしていまして。家族も友達も職場の人も生きてるのが当たり前というか、明日もいるのが当たり前というか。
テレビでみたことある人の訃報とかが増えてきていて、じわじわと怖くなってきているところです。永遠に完璧なものなんてない、と作中でも言われていました。
生きるのって底知れぬ怖さがありませんか?最近は怖いのかもしれません。ベンジャミンバトンをみて、人はいつかしぬと、しぬんだなぁ~と思うようになりました。たくさん看取って辛い思いをするくらいなら、いっそいまのうちに苦しまずにすっといけたらな~とか思ったり。でも別に、私だけじゃないですよね?そう思うのは。
こういうことを人に言うと構ってほしいのかとか、心配してほしいのかとか思われそうでいやだからここでいいますけども、、、ここで言うのはむしろ許してほしいです。
学生の頃は毎日学校へ行って授業をぼーっとうけ、終わったら家に帰りゲームするみたいなルーティーンでした。なにも考えなくても、過ごしていれば普通の人として生きていける。あの頃は気づきませんでしたが、ほんとに安定したアップダウンの少ない毎日だったと思います。でも今はちがう、楽しいことと悲しいことの差が激しすぎてアップダウンが多いです。もちろん若い頃は若い頃でそれなりに悲しいこともあったし、悩んでつかれることもたくさんありました。でも今に比べたら降り幅は少ないように思います。
楽しいことも多い分辛い悲しいことも多いような、、、それが正直辛いのが現状で、辛いことを減らしたいのが本音です。楽しいことを減らしたいわけではないんですが、辛いことが減れば楽しいことをするときとの落差が小さくなって少しは楽になるかなと思いまして。
アップダウンが激しいということは、今を生きてるということをより実感できるということであり、生きるの本質のような気もします。実際。わからないですけど、なんかそんな感じしません?人生山あり谷あり的な感じですよね。
だから辛いんでしょうね。生を実感したくはないのかもしれません。どちらかといえば。
上を目指す、成り上がるような人とは今わたしはちがう方向を向いているのかもしれません。そして自分のことしか考えていません。
ベンジャミンにあってみたいなぁ。
何を思おうが何をしようが、死ぬまでは生活は続きますね。
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