無気力でも生命を維持できるという趣旨の話です
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なんだか無気力で、ジャーナリングも読書もさぼってしばらくスマホいじりまくって過ごしてました、うぇ~~い!最悪です(^▽^)/
無気力って、怖いですね。
仕事から帰宅して3時間くらいインスタかYouTubeショートを見続けて一日を終える虚無感。ですが、その虚無感を求めてしまう無気力な、俺!俺!オレオレオレオレあ~~真夏~の~じゃんぼりぃぃ
なんだか無気力な一日を過ごし過ごして、今日、やっとこさ少しやる気が出ました。
なんだか、やっぱり文字を書きたくなりまして。ほんとに時間つぶしのためのスマホいじりに時間を使うより、好きなドラマ見たり、ブログ書いたりジャーナリングしたりした方が”良い”っていうのはわかっているのですけれどもね。
というわけで、私は無気力を無気力でやり過ごしたというわけです。
でもさ、いいよね無気力って。何もしたくないっていう欲望に従って、その欲望がかなっている状態だから。
実際、何もしたくない~無気力~あ~YouTubeでショートでもみて時間つぶそう~の時間って、なんかアドレナリン的な?快楽物質が脳から出ていませんか?あれなんかすごいですよね。手軽に快感を得ようとする浅はかさよね。
だが無気力にはそれがよい、、、ちょうどよい、、、
しばらくやり過ごすと、何かしてみようかなという気持ちに少しずつなってきます。いままさにその真っ只中です。不思議ですね人間のこころというものは。
少しずつ、ブログかいてますし、太陽とおおかみくんにはだまされないをみています。笑
やろうと思ったことをやれてくると、少しずつ自分に活力がわいてきませんか?やろうと思ったポジティブなこと(ただの時間潰しのスマホいじりのネガティブなことではなく)をやることで少しずつみなぎってくる感覚、自分自分の思いどおりに動いている感覚。
それはきっと大切なことなんだろうなとおもいます。だからといって、無気力なときにむりやり別のことしようと出来ないです。ほんとにむりやり体をたたき起こして少しずつやれば波に乗れるんですが…こう、軌道に乗るまでのギャップというか、必要な瞬発力?が結構違います。
どちらの自分も大切に出来たら、もう少し自分のことを好きになれるのではないかと…無気力な自分も、やりたいことを主体的に行う自分も。
今月は無気力期と、少しずつ回復に向かう期の両方味わえています。何事も少しずつ、生きてるだけで偉いということで勘弁してもらいましょう(自分に)。
あとは、あれもこれも出来ないっていうのもあるかもしれません。最近家計簿をつけ始めました。するとジャーナリングや読書への興味が少しそれました。家計簿って日記と同じ脳みそ使いますよね。思い出すというか。どちらも「記録」ですからね。
どっちも続けたい…!あれもこれもやりたい。少し時間の使い方を考えなければなりません。まだ無気力から少しずつ立ち直ってるところなので、少しずつやっていきます。
なんだか久しぶりで全然まとまりのない文章になりましたが…、無気力でも、そんな自分を観察してどうなっていくのかを見守るのも、案外趣深いかなぁと思った次第です。無理なくぼちぼち生きていきましょう。仕事してるだけで偉い偉い(今日家でる10分前に起床してほんとにあせった、間に合ったので今日もぎりぎり”偉い”)
無気力を観察してみよう?
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