感覚全てに生かされている

感覚全てに生かされている 心の記録
感覚全てに生かされている

そとにでてベンチに座って風を感じたり、顔に見える模様を探したり、野良猫を眺めたり、ホットコーヒーを飲みながら遠くを見つめたり空を見上げたりしたい

今日は家をでて駅まできました。

なんとなくコンビニで160円のホットコーヒーをかって、天気もいいので駅前のベンチに座りながら飲もうかなと思ったら

アコーディオン弾いてる1人のおじさんがいました。50-60代くらいでした。

話しかける勇気は無いんですが、すごいお上手でよきBGMになりました

昭和歌謡を演奏されてました。多分上を向いて歩こうとか、子犬のワルツとかです。

鳩がこっちによってきたりしました、ご飯もらえると思ったのかなぁ?ガン見してました。意外と可愛く見えます。なにもあげませんでした。

ふと上を見上げると真っ青な空がありました。駅ビルの窓にも真っ青な空がありました。空の青の素敵さ足るやこの上ありません。

ふと見上げると棚田のような白いくもがあり。

また時間を空けてみると雲が風にながされまた青が大きくなっていました。そしてまた見上げるとまばらに散った雲があり、鳩が飛んでいたりカラスがこちらを見下げていたり、大きな飛行機が飛んでいたりで飽きません。

駅前なので人の出入りも多く、みなアコーディオンのおじさんを一瞥して通りすぎていきます。

少しずつ風が強くなって気温が下がってきました。

予報では夕方から雨予報でした。

見守っていた鳥も減ってきました。

季節は秋、さっきまで夏のように差していた日差しが、急激に弱くなり涼しくなるのも秋らしさなのでしょうか。

私は少しずつ寒く涼しくなる季節が最近はこわくてたまりません。

何でなのかな。寒くなると心も体も冷えてきて少しずつ動けなくなるような気がして、怖いんですよね。

冬はほんとに寒くてなにもしたくなくて、暗くて力もわかなくて。なんか、今年は特に怖く感じてしまいます。だから夏が去るのが惜しくて。

自分に正直な気持ちで生きると楽なのだけど、時に周りを見渡したときにどうしようもなく自分が情けなくなる瞬間があります。

あの人はできるのに、どうして自分はできないのか。みんな出来ていることを、出来ない私はこの世界に生きていていいんだろうか。

だけどね、それをバネに頑張ることも最近は出来なくて。いや、ずっとそうだったのかもしれない。

ほんとにどうしようもなく…開き直ることも諦めないことも出来なくて、決めることも出来なくて、宙ぶらりんで行ったりきたり。

何にもしないのになにもないと嘆いてる自分が結構意味わからなくて受け入れられずどうにもこうにも生きるのが辛いです

なにかを大事にするにはなにかを捨てなくてはならないし、自分の本当に大事にしたいものを揺るがずもつことが出来ないから、あれもこれもで中途半端なのがちょっとむりで…要は覚悟がないという話だが。

なにも、本当になにも大事に出来てはいないのでしょうね。

どうしたら覚悟って身に付くのかしら。そういう経験を、きっと私はしてこなかったのか、それとも“出来なくなった”のか。

一生同じこといいながらどの環境にいても文句をいいながらモヤモヤ生きていくのではないかな、と思うといっそのこといなくなりたいという結論に至ってしまいます。

キンモクセイの香りを感じながら、アコーディオンの音色をききながら、青い空に包まれながら、人が生きている様子を眺めながら、辛いことから一時だけ逃れるこの時間がわたしを生かしているのだろうなぁ。

アコーディオン、素敵だったなぁ。やっぱり音楽すきだなぁ…

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