時の道をずっと歩いてる
人は生まれると、自然と自分の道を歩いていくことになる。それは大きな道でも、誰も通らない細い道でも。
人生というやつの比喩です。
こうしてブログを書いている瞬間も、テレビを見ている瞬間も、甘エビの乾物食べてる瞬間も時は刻々と流れ、いまが過去になっていく。そしてそれは自分が生きた道となっていく。
不思議な感覚ですね。
いま考えていることも全部全部一瞬で過去になっていくのです。座ってるこの瞬間も、天気がよいなと感じること瞬間も。
平和だけど、考え方を変えればずっと死に向かって歩き続けていると言うことです。
何をしてても時間は流れ続けるから、いままで居た場所がどんどん崩れ落ちていくような気持ちにもなるかも。そう思うとなんかとても焦りますね。笑
振り返ると自分の足跡と道がある。戻ることのできない道がある。
そう、戻ることはできないけれど振り返って見つめることはできます。過去の自分とその足跡を。
後ろの道を見つめてみる
人は懐かしいものやことに出会うことで癒され、ストレス発散されるみたいです。何かのウェブの記事で見かけました。
確かにそうだなぁと思います。過去の自分に想いを馳せて、あの頃はこんなことを考えていたなぁ。こんなことをしていたなぁと懐かしむ時間は結構楽しい時間です。
懐かしむために、つらい今を生きているまであるかもしれないです。言いすぎか。
過去のブログのサムネイルをサーッと眺めてみてみました。
やっぱり今とベースの考えとか空気感とかはほとんど変わってないのですが、過去の自分の文章とか記事とかは好きだなぁと思いました。
「自分」は観察対象
自分のことが嫌いだと私は思っているけれど、ほんとは自分のことが好きで目を離せない(自分自身なんだから当たり前か)存在で、見守っていたい存在なのかもしれません。
あまりにも内向的であり、勇気もないし、変わっていく強さもないけれど、そんな自分を観察するのは好きなのかなと思いました。嫌いだったら、過去の自分とか見たくもないだろうし。
自分の書く記事が好きって思える自分はなんだか好きです。
日記とかも好きだけど、いつも続かず終わることが多かったです。何冊も、書き途中のノートを生み出すタイプ。やりはじめがピーク、みたいな。
その点ブログであれば、紙とペンを出す必要もなく、スマホで書けてしまいます。
立ち上げてしまえば気軽さはかなりある方かなと思います。
ブログはずっと続けていたいなぁ。そして、自分の観察日記を作る。
ほんとに自己満です。笑
そんな自己満の記事にたどり着いたあなたも、是非自分の観察日記をつけてみてはいかがでしょうか?私みたいに、自分観察にはまるかもしれません。
自分の生きた道が風化しないように、守っていく作業に近いですね。道に柵を立てて残しとくような。
もし私が死んでも、誰かの目に止まってくれたら嬉しいなぁ。いや、レンタルサーバー代が払われなくなって公開されなくなっちゃうかな。
過去のブログ、サムネの写真とか追記とかして綺麗にしたりしたいなぁ。
私は今を生きてるんだね。
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