子供の頃は負けず嫌いでした。
持久走やゲーム、テストも友達には負けたくなくて。プライドがありました。
小学校のころは、友達の姉ちゃんをいただきストリートDSでこてんぱんにしたことがありましたね(香ばしい)
昔はゲームも勉強もできるほうだぜ!得意だぜ!と、そう思っていました。
だからこそ負けなくないし、負けないように練習するわけです。
すこしずつ、大人になるにつれて上には上がいる、勝つことのできない相手に出くわすことが増えました。ゲームもスマブラでぼこぼこにされるし、テストだって成績はすこしずつ下がって行きました。
最初は悔しかった。負けることが情けなくて。そしてそれが繰り返されるうちに負けてもいいやと諦めるようになってしまった。
社会人になるとさらに無理で、できなくて当たり前、出来ることだけしかしたくない、できなくて誰かに頼って、自分の力にしてこなかった。自分で一歩前に出ることもしない、ただただ指示をまつような。
わたしは昔から負けず嫌いでした。
好きなことは負けたくなかった。でもそれじゃ傷ついてばかりだから、諦めることで心を守っている。
外で打ちのめされた気持ちを内にためて誰かに八つ当たりするような、優しくない大人になってしまいました。
生まれたときが一番きれいでした。
子供の頃は悩みなんかなくて、cmをみても純粋にエンターテイメントとして楽しんでました。いまはcmを見ると思い出す記憶が多くてフィルターを通してしかみることができないのがつらいです。転職のcmみてるとあー仕事…となるし、保険のcmみてるとあー保険…となるし。
なにも考えずに楽しめたあの頃に戻りたいと思うことは数知れずです。
きっと大人になるということが、歳を重ねるということが、今のわたしが不快に思っていることなんだと思います。記憶が積み重なってなにかを思い出さずにはいられない、生まれたままの状態から研磨されていくような。いろんなものがくっついて大きくなっていくような(塊魂的なね)
なにも考えたくはないのです。なにも縛られず何処かでずっと雨宿りしていたい。
きっと、その他に大人だからこそ楽しめていることもたくさん増えているはずなのに、負の側面に目がいってしまうのは…よくないですね。
たのしいことが多い人生より、いやなことが少ない人生がいいな。
そんな人生きっと消極的と笑われてしまうかもしれないですが、わたしの理想の人生をいきることができたらなぁ。
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