人と関わりを持つということ

関西万博のスペインパビリオン 心の記録
たしかスペイン

サムネイルは、関西万博の写真です。人と関わりを持つことというタイトルなので、人間のかおがたくさんうつってる写真にしました。

日帰りで行ったけど万博たのしかったです。

最近暑いですね。帰り道、明るくてすごく嬉しくて。日が伸びてきたことにとても喜びを感じる今日この頃です。

夏至が近づいてることにも少し恐怖を感じつつ。なぜなら夏至を境に陽が短くなっていくから…。

日が長くなるこの時期、結構好きかもしれません。夏は暑くてつらいけれど、なつは陽が長くて明るくて、寒くて動けないことがないので好き。

最近、極力他人との関わりを絶っていました。私にとっての他人は、自分のテリトリー外の人間です。要は家族友達以外。会社の同僚でさえも。

そうすると自分の世界が、少しずつ少しずつ気づかぬうちに狭く狭くなっていくようです。たぶん。

今日友達と話して、自分のなかにない意見がもらえたことで少し自分の世界が広がったような感覚がありました。絶対行かないと思っていた行事に、行ってもいいかもなと思えるような。

人との関わりはそういう発見があるから面白いのかなぁと思いました。

大学のときはとくにそうだった気がしました。周りには常に人がいたし、相談したり会話したり。私1人では行かないような世界へ掬い上げてくれるような引っ張りあげてくれるようなひとがたくさんいたようにおもいます。そう考えるとやっぱり大学は行ってよかったなと思うし、勉強以外のこと、たくさんまなべたなっておもいます。

田植えしてみたり、山菜食べたり、大人数で合宿行ったり演奏行ったり。普段は苦手でやらないようなこともみんなとならやれたし、いてもいいんだって安心感もそこにはありました。

社会人になるとその距離感ではいられなくて、またちがったコミュニティが作成されて。でも私はそこに馴染んでは行けなくて、いつものように少人数でかたまってすごして。いや、大学のときもサークル外の友人とは常に二人でいましたね笑

考えてることをそのまま書いてるので全くまとまりがないですが…

環境がやっぱり全然ちがうなぁと、言いたいのかな…

環境が人を変えるし、人と関わることで自分の形を変えて行ける…

ある程度の積極性をもって自分から最初は飛び込んでみないと始まらない…

シャットアウトするとなにも始まらない…

そんなことを思いました。昨日今日は。

最初に飛び込んでしまえば、後は波に揉まれて流されて少しは自分の形を柔らかくして変えたり世界を広げたりできる…よなぁ…

あぁあ。多分自分の性格や形は子供のときから変わらなくて、環境によって少し形を変えたとしても、また環境が変われば形状記憶されたもとの形に戻ってしまうと…

なんかそんな気がする。うん。

今の私はそんな感じです。

きっと、足掻いていかないと行けないんだなぁの時期です。

きっとそう

周期的に全く同じことを繰り返しているような気がしてなりません笑多分1,2年前に全く同じこと考えてたと思います。

だから日記つけたいんだけどね。続かないんだよね。どうしたらいいんだろうね。

社会人をもっとうまくやっていきたいんだけどな…仕事とプライベートは違いすぎてうまくやれない、仕事できないしわたし。

辞めたらなにしようかなぁ。テーマパークとかで働きたいな、パソコンずっとみてる仕事はちょっと遠ざけたい気持ちです。頭痛くなるし。でも座ってられるのいいんだよな~~~

ずっと立ってると腰が痛くなってどうしようもない。立ってられるように姿勢を変えていきたいなぁ。。

人と関わりながらうまく生きていきたい。あわよくばなにか団体に所属して何かしたい。

そうして自分の世界に少しずつ刺激を与えながら、例えうまく行かなかったとしても、人生に飽きてしまうことがないように。無の人生にならないようにしていきたいな。

あーあ、コスキン行けばよかったかなぁ。大人数苦手って突っぱねないで。でもさ、そのときは行きたくなかったんだよな。だれかに掬い上げてもらわないと知り合いがいるようなイベント参加できないんだよな、なぜならコミュ障だから。なんか自分が好きで行くというよりか、だれかに必要としてもらえれば行く、みたいな感じなのですよ。自分要らないな~っていう空間に数時間いるのってほんとに地獄なので。

まぁそう考えたら行きたくなくなる自分の気持ちわかる~~~でもそれやってるとどんどん世界狭くなる~~~あ~~~

当たり前に自分の周りにいてくれる人への感謝は忘れず、かつ他人ともうまく関わっていけるようになりたいな。

まとまりのないだらだら文でしたが、最近はそんなことを考えながら、生きています。

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