はいて捨てるほどありふれたこの世界で、はいて捨てるほどありふれた私は、はいて捨てるほどありふれた日常を送っています。
毎朝冷たい気持ちで電車にのって、一日中ビルのなかで座ってパソコンをカタカタし、暗くなる頃に退社する。そんなありふれた毎日を過ごしています。
生まれてこのかた、敷かれたレールを踏み外したことはなく、ひたすらに小中高と過ごして大学もそのまま卒業して。そのまま就職して。
まぁ、多かれ少なかれ蛇行することはありました。大学で初めて実家を出て遠くで一人暮らししたり、高校で一度だけ演劇に出てみたり。お金がなくて仕方なく倉庫での単発バイトをやってみたり。いや他の人からしたら蛇行すらしてないのかもしれないけど…特に高校大学ではそういった経験を多くして、まっすぐでない、蛇行したレールを生成してきたんだと思います。
はいて捨てるほどのありふれた世界にしかいたことがない私は、ありふれてない世界を知らないです。しらないがゆえに、今が幸せだと思うことが出来ないんだろうなと思います。
生きてきたなかで今が一番つらいなって思います。
はいて捨てるほどありふれた日常を幼少から歩んできたわたしですが、誰かに守られる時代を抜け、学生時代を抜け、社会人となった今、私は責任に押し潰されそうです。
昔からそうでした。自分の責任で人に迷惑をかけたら挽回できない、失敗できない、完璧にしないとなと思ってしまうような人なのですよ。
学生時代はこの性格でものらりくらり、だって自己責任ですからね。宿題やらなくても寝てても部活行っても学校やすんでも、自己責任です。でも仕事はちがう、社会はちがう。常に宿題があるような状態で遅れれば迷惑をかけるし、なにより人に沢山話しかけてコミュニケーションをとらなければならない!学生時代に私が苦手としてた物事が、社会人にはつまっているのです。
社会人になってもう数年たちます。身に付いたこともきっと沢山あります。資料作成とかタイピングとか、ググればぷろぐらむ(笑)もできる(出来た気になってるだけかも知れない)わけですよ。
でもやっぱり苦手としてたことはずっと苦手なまま、人に話しかけるのも、会話を続けるのも、新しいことをすることも、責任がかかることも、人に教えることも。
人って苦手なことはやっぱりなかなか克服できないものですね。仕事と割りきってうまくやってるふりをしてしのぐしかないです。
正直自分のこの気持ちも、環境も、すべてはいて捨てるほどありふれたものでしかなくて、おなじことを考えてる人がいて、おなじ環境の人がいるのだろうと思うと、そもそもこのブログを残す意味は…わたしのアイデンティティは…などと感じてしまうわけです。
ありふれてるからと行って存在価値がないわけでも、あるわけでもないですからね。気にしても意味はないのですが。
あ、でも完璧主義は最近意識的に少しずつなくしてます。このブログもそう。完璧にしないといけないと思うと、なにも投稿できなくなります。思ったことを書き綴り、添削せずに公開すれば、少し行動できた自分をほめられるし許せます。
これもはいて捨てるほどありふれたライフハックですけどね。
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