見通す先と、明日を思う

最近は引っ越し作業で忙しく、荷物を運んだり手続きしたり、車で引っ越し先へ何度も向かったり、バタバタと動いてました。

一昨日から生理になり、今回は生理前の気分の落ち込み(PMDD?)なかったな~何て思っていたら、今日ふとしたタイミングで少し考え事し始めてしまって落ち込んでるのかなんなのか、夜は泣きそうなのを我慢して過ごしていました。なぜ泣きそうなのかはわからないまま…

ということで、自分の気持ちを整理するためにも考えてたことをまとめようかと思う。もしかしたら、公開しないかもしれないけれど、自分のためにも、ね。

きっかけになったのは1つのYouTubeショートの動画です。

まぁなんというか、昇進したくない人の末路、みたいな動画です。

この動画、2人主人公がいて2人とも昇進したくないって言うのはおなじなんだけど、昇進しなくても仕事は一生懸命こなす人と、昇進もしたくないし後輩の上司に仕事ふられるのもいやな人、この二人の年老いてからの末路を比較したものです。

私も、昇進したくないんです。このままでいいのかなって、思ってしまいまして。

思えば私はいつだって中途半端で生きてきたなって思い始めてしまいまして。

まず仕事はしたくないし出世もしたくない、てか多分できないです。一回メンタルブレイクして休職してから無理なく働くことを目標かついいわけにして過ごしてきました。毎日先輩に頼まれた仕事をたんたんとこなすわけです。この機能をつくってね、この不具合を直してね、といった具合に。言われたことをこなし、わからないことがあれば都度質問します。自分で余計なことはしないようにして過ごしてきました。

最近まではわたしと後輩二人でこの仕事をこなしていました。二人で手分けして作って、完成したらお互いの作った機能テストしたりして。そんな後輩君が引き抜かれて、末端のプログラム作成からお客さんとやり取りが発生する作業へうつりました。すぐに気づきました、出世のみちに乗ってるなぁと…。上流工程を出来るようにそちらにうつったわけです。大変そうだなと思う反面、期待されてるのだなぁとわかりました。

いうなれば後輩は今上り坂を案内されて上っている状態です。一方私は平坦な道をヘロヘロになりながら進む日々。平坦な道を望んでいるし、上司も私のことを理解してて上り坂を与えない、間違ってない需要と供給は一致しているはずなのになんだか少しだけ羨ましい気持ちになりました。

わたしの心の根底には人の役に立ちたいっていう気持ちがあることに既に気づいているのですが、恐らくその気持ちが刺激されて羨ましくなるのだと思いました。期待に応えたい、期待されたいけれど、期待されたくないしつぶれたくない、とても宙ぶらりんで曖昧な自分の軸ゆえに苦しみが生まれていることをわかっています。

後輩のことは一例で、他にも沢山思うときはあります。

同期はみんな漏れなくそれぞれチームのキーとなって必要な存在となっていること、中途で入ってきた優しい先輩は引き抜かれて別の作業を継続、仕事できないんだよねって言ってわたしを励ましてくれている先輩はイベント事に強く人助けもできる有能な人、、、会社の誰もが良いところ、長所をもれなく持っていることに私は強く憧れを抱いています。

人ってなにか自分に強みと負けないものを持っていると強くなれるのかなって思っているのだけど、私は…?って、自分に焦点を向けてしまうことがあって、そうなるともう完全にアウトです。終わりを向かえるわけですよ。心が。

まぁこれがわたしの一つ目の今日の考え事ですわ。ええ。

書きながら脱線したんですが、、、話したかったことからは遠からず、、

二つ目はそう、何事も中途半端ってことです。

仕事も趣味も生き方もなにもかも中途半端で、このまま生きていって何が残るかなとか、ああ、考えてたときから時間がたってしまってあのときのことを完璧にここに書けないのがもどかしいですが…

人と接するのも苦手、プログラムも苦手、これら全てを「苦手」で済ませて努力をやめてるなぁとか、じゃあお前には何ができるんだとか、このままでいいのかなってやっぱり思ってしまうわけです。このブログも気軽にはじめてみたって訳なのですが、よく調べもしないで勢いで何でも手をつけて飽きるなんてこと私にはザラなのでなにかを極めて自分に自信をつけたいっていうのもわたしの根底にあります。

ここまで読んだ人がいるかわからないですが、読んだらわかると思います。この人(私)、ここまで自分のことわかってるならどうすればいいかわかってるんじゃんって。

大体どうすればいいのか、どう行動すれば悩みが解決するのか、わかってるんですよね。実はええ。やらない、やれないのがわたしなんです。

そこまで含めて「中途半端」な私を許してあげられない私が原因ですね。

やっぱり許すって、とってもむずかしいことなんだなって私は思いました。他人のことは、時間があけば怒りや悲しみが薄れて許そうかなって気持ちになるから許せる(自分の場合は)ようになると思います。でも、私は?ずーーーーーっといっしょ、離れるときなんて、ない。忘れることや自分より他人に焦点が当たるときもあるけど、結局自分が常にいるわけですよ。許すとか許さないとかきめる前からずーっといるものに対して、許せるようになんてならない…というのもいいわけな気がしてきちゃいますね。

そんな自分と見据える未来と明日、どんな風に見えるのかな?

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