曖昧な私

心の記録

今日、人とはなしていて気づいたことがありまして。

私は曖昧だなぁということです。

私は昔から説明が苦手で、話が前後してしまったり、相手の持ってる情報を推し量って情報量を変えたりするのが本当に苦手でした。

シンプルに理論立てて説明するのが苦手とか、時系列順にはなすのが苦手とかもあるのですが、一番はきちんと理解してないってことです。

昔から、きちんと理解することは苦手でした。公文に通っていた小学生、中学生時代、算数と数学が理解できなくて何回やっても解けなくて泣いたりすることがありました。理解に時間がかかる方でした。自分のなかに落としこむのがどうにも苦手で、何事もふんわりと捉えて理解した気になるとか、ふんわりとつかんで使うようなことが多かったです。

私自身は目に見えない曖昧な物事は苦手です。理解できないから。まぁそれでいえばプログラムも未だに理解できません。あのコード(文章)がどうして画面になるのか、わかっててもわかってません。

でも自分のなかには曖昧な知識だらけでなんだか矛盾していますね。曖昧に感覚的にやってきてうまく生きてきたところはあります。大学は特にそうでした。そもそも大学数学が抽象的で理解しづらかったので…。

なんか言い訳ばっかりですね。大人になってから、物事をしっかり捉えることをめんどくさいと思うようになって、曖昧なその場かぎりの知識ばかり積み重なって中身のない人間になってしまいました。

最近おかねの話に興味があって、YouTubeでリベ大の動画みまくっててNISAとか副業とか節約とかみてるはずなのに、今日お金の話題になったとき、人になにも具体的にはなすことができませんでした。それだけじゃなく、北海道旅行したときのはなしも…。

私の思考は曖昧で知識も曖昧ではなしてもなにも出てこない…なのだとしたら、私の存在自体が曖昧になりませんか?

存在まで曖昧になってしまえば、いよいよ消えてしまいますね…。

やっぱりなにかをきちんと「勉強」して人に話せるなにかを持てた方が、曖昧さがなくて自分を好きになれる気がします。

あと数週間で私の誕生日なのですが、もしかしたら目標が決まったかもしれないです。

「曖昧さを減らして知識や経験を自らの血肉とする」

勉強は不可欠ですね…。

そして、仕事も変えて自分が少しでも楽にいきられるように行動していきたいです。

曖昧さは時として人の自信を奪うようですね。。。

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