歯車が噛み合わない気持ち悪さ

心の記録

こころがぐぐぐ…となる感じ、伝わりますか?

人と会話すると、おもってることが伝わらなかったり、話してても相手が「?」となっていて何となく居心地が悪いとき。歯車が噛み合わなくてガリガリと音を立てるような、心臓がキューとなるような苦しさを感じませんか?

会話が苦手なのでよくなるときがあります。うまく行かなかったときね。

そのモヤモヤとした不快感を感じつつ、でも過ぎたことはどうしようもないので置き場がなくて暫くうぅ…となるのですが、時間がいつも解決します。時がたてば、気分は変わります。

ぐぐぐ…となる感じになってしまうとネガティブスイッチが押されることが多く、どんどん深みに落ちるときもあります。なんでそんなどうでもいいことで落ち込んでしまうのか私にもわからないのですが、自分をよく見せたいという傲慢さと、自分がうまく行かないのを受け入れられない、自分に対する期待値が大きすぎてること、自己肯定感の低さ、これらがあわさって最強になります。わろた。

さすがにいきづらすぎません?せめて、自分に対する期待値を一旦なくしてありのままの自分、なにも出来なくても自分を信じるこころみたいなのがあれば全て解決するような気もします。

自分を信じるこころか…なにも出来なくたって、失敗したって自分は大丈夫だと思える心、凄く素敵だなって思います。最近は仕事できなくてもケロッとしてるひとを凄く尊敬しています。だって自分のことを受け入れて生きていられるのだから。仕事できる人よりも、そっちのほうができる人少ない気がして、すごいなぁと思ってます。

社会人が一番しんどい理由がそこにあります。学生の頃は宿題とテストが出来てれば◯で人並み。出来なくても自己責任でなんとかなりました。会社はそうじゃない、人と関わって説明してコミュニケーション取って、仕事が遅れれば自己責任ではすまされない。つまり責任が違う。

もちろん出来なくたってなんとかなります。だって組織で仕事してるから、他の人がカバーします。だけど、迷惑をかけてしまうんですねぇ…そして自己肯定感を下げる…普段自分をよく見せようと必死なのでその実仕事できないことが露呈して自己肯定感を下げる下げる…

もともとあんまたかくなかったですが、今が一番低いですわ。

だから、仕事できなくてもケロッとしてる人が羨ましいのです。

わたしのイメージしている、「仕事できる」になるのは、多分無理だなぁと私は悟りました。(理想が高いしそもそもそんなにがんばれないから)だから、環境を変えて自分が楽でいられる場所を探すか、自分が自分でいることを受け入れられる心になるか、この二択です。

歯車が噛み合わなくたって、私は私で落ち込むことはないのですよきっと…と、自分に言い聞かせてみる。

言語化して書くだけで、目に見えるようになるし吐き出せるので少し楽になりますね。誰かわかってくれる人がいなかろうか…?

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